泳司と槌夫の決定的な違い
2005.8.3 upload

幅が100メートルはある河の中央に、一艘の舟が浮かんでいる。その舟には、二人の男性が乗っていた。体格の良い方は、泳司という名前で、昔、スイミングクラブに通っていた。今ももちろん泳ぎは得意だ。もう一人の男の名前は槌夫といい、全くの金槌で、バチャバチャと浮いているのがやっとという状態である。

お互いの能力を知ってか知らずか。いきさつは不明だが、この二人が、これから河に飛び込んで、向こう岸に泳いで渡るという競争をすることになった。特に槌夫は、もの凄い形相で、闘志満々の様相である。

「ヨーイ、ドン」。 バシャーン。

さて、この競争に勝ったのは、泳司と槌夫の、どっちだろうか?

この質問は、初めてのセッション等でたまに出すクイズです。聞かれた人は色々と思いを巡らすようで、このときの表情や回答には、個性が出てとても面白いです。

答えは当然、「泳司が勝った」です。統計学的にみても、泳司の勝つ確率が圧倒的に高いでしょう。ここでは、これ以上、確率論的に突き詰めるのは止めておきましょう。また、目標達成において、「意識」のあり方はとても重要ですが、このことについては、後のレッスンで解説します。

さて、考えて欲しいのは別の視点です。泳司と槌夫が河に飛び込んだときの様子を想像してみて欲しいのです。

そうですね。泳司は、河に流されつつも、スイスイと泳いで岸にたどり着きます。一方の槌夫は、一所懸命にバチャバチャと、それこそ死にものぐるいで頑張っていますが、一向に岸の方へは進みません。

泳司と槌夫の勝敗を分けた決定的な違い、それは、「泳司には、“水泳法”という泳ぐ能力が身についていた。しかし、槌夫には、その能力が潜在したままだった」ということです。

泳司は、泳ぐというモチベーション(動機づけ)のエネルギーを、水泳法という質の高い動きによって、効率良く、しかも無意識的(自動的)に推進力に変換しました。しかし、槌夫は、闘争心むき出しの高いモチベーションであるものの、非効率な身体の動きによって、殆どのエネルギーを無駄に消耗してしまいました。

この競争の勝敗に、「死にものぐるいの懸命さ」や「性格の善し悪し」、「やる気の強弱」、「競争する環境」等は、殆ど影響がありません。

ブルドーザーというチャンスが訪れたときも同じです。そのチャンスに対応するだけの能力が顕在化しているか、それとも潜在したままなのかの一点が、人をコルパーと非コルパーに分ける要なのです。このときに、最も確実に準備しておかなければならない能力が、コルパーの心構えなのです。

ブルドーザーが目の前に現れて、ぶつかり、そして跳ね飛ばされる時間は一瞬です。このときに、効果的に効率良く対応するためには、コルパーの心構えが無意識の層に形成されていることが重要です。もちろん、ブルドーザーに遭遇している一瞬に、心構えが新たに形成されることもあります。



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